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2008年10月 アーカイブ

2008年10月13日

本堂と舞台

清水寺の本堂と舞台は国宝に指定されている場所として知られている。
建築方法は起り反り(むくりそり)曲線を見せる寄棟造り、屋根の部分は現在ではなかなか見ることのできなくなった桧皮葺きや軒下の蔀戸など、平安の頃のお金持ち(貴族・権力者)が住んでいたという雰囲気の造りである。また、ロケーションも見事なことでも知られている清水寺は四方を音羽山に囲まれており高い位置に建っているためそこからの景色は絶景のひとこと
現在見ることのできる姿は寛永10年に再建されたもので、正面36メートル、側面約30メートル、棟高18メートルの大堂で、堂内は巨大な丸柱の列によって3分され、もっとも奥にある内々陣の大須弥壇上の三基の厨子(国宝)内に本尊千手観音と脇侍(わきじ)の地蔵菩薩・毘沙門天を祀っている。

清水寺の広さは約190平方メートルほどありその一番有名な場所である舞台は最大でなんと12mにもなる柱で支えられている。
「清水の舞台から飛ぶ…」があるが、舞楽などを奉納する正真正銘の「舞台」で、両袖の翼廊は楽舎である。舞台からの眺望は、実に絶景。

見どころ【仁王門・馬駐・鐘楼・梵鐘・西門】

清水寺の見どころをご紹介しています。

仁王門
室町時代の頃に建設された、国指定の重要文化財に登録されています。
この門は清水寺の正門で、お寺から西側に行ったところにある。
現在見ることのできる仁王門は応仁の乱後、15世紀末に再建されたものをさらに平成15年(2003)解体修理を施したものが見ることができる。
室町時代の建築の特徴を表す見事なつくりの楼門で三間一戸、正面約10メートル、側面約4.8メートル、軒高8.5メートル。建築様式は入母屋造りと呼ばれるものであり、その屋根は桧皮葺きで作られている。
昔ながらの丹塗りで“赤門”と呼ばれるものである。
扉の両脇には大仁王像が飾られており正面軒下に平安時代の名書家藤原行成の筆と伝える「清水寺」を掲げている。

馬駐
室町時代の頃に作られた国指定の重要文化財である。
昔、貴族や武士が此所で馬から下り、乗馬をこの建物につないで徒歩で諸堂へ参拝した。
現在の建物は応仁の乱後に再建された。全国的に希少な遺構で、正面10.5メートル、側面5メートル強と規模も大きく、同時に五頭の馬をつなぐことができる。
至って実用的に簡素な造りになる中、貫鼻(ぬきはな)などに繰形(くりがた)を飾っている。

鐘楼(しょうろう)江戸時代初期、重要文化財。
慶長12年(1607)の再建。
2.3トンの重い梵鐘を吊るために六本柱、四方転びの技法を用い、柱に貫(ぬき)を三重に通して組み固めている。なお牡丹彫刻の懸魚(げぎょ)や菊花彫刻の蟇股(かえるまた)などに桃山様式の美を見せる。

梵鐘(ぼんしょう)室町時代、重要文化財。
平安時代から名鐘できこえる。
現在の鐘は応仁の乱後、清水寺を復興した願阿上人の大勧進活動によって文明10年(1478)改鋳奉納された。銘文に明記されている。

西門(さいもん)江戸時代初期、重要文化財。
寛永8年(1631)再建の、優雅な三間一戸の八脚門。
単層、切妻造り、桧皮葺き。
正面に向拝をつけ、木階に高欄を設けて一見拝殿風に作り、背面には軒唐破風(のきからはふ)を架ける大層珍しい形式になる。持国天・増長天を安置する。
夕日に極楽浄土を観想するためかもしれない。
随所に優れた蟇股や木鼻など多く備え、丹塗りと極彩色文様が復元されて華麗な桃山様式の美を見せる。

2008年10月29日

清水寺の見所【随求堂・三重塔・経堂・田村堂・轟門】

清水寺の見どころを紹介しています。

随求堂
江戸中期再興。
清水寺の境内にある塔頭慈心院の本堂で、享保3年に再建。本堂に祀られているのは大功徳をもつ随求菩薩(ずいぐぼさつ)[秘仏]は大衆の願いをすぐにかなえてくれるといわれており
梵字の大随 求陀羅尼をデザインした円形光背をもち、七重の獅子蓮華台座に坐る八臂(はっぴ)元禄様式の美術・ 工芸の粋をつくした至極美麗な像で、毘沙門天と吉祥天を脇侍にする。 また縁結び・安産・子育ての神仏である大聖歓喜天や粟島明神などを祀る。

三重塔 江戸時代初期、重要文化財。
清水寺の境内にある三重塔は平安時代の初期の頃847年に建設された、現在見ることできる塔は昔の様式にしたがって寛永9年(1632)の再建。
三重塔は高さ31メートル弱現存する国内の塔としては最大級のものとなる。
最近の修復工事としては昭和62年(1987)解体修理、すべてを丹塗りと共に桃山様式にそって修繕作業が行われた。
一重内部に大日如来像を祀り、四周の壁に真言八祖像を描き、天井・柱など密教仏画や飛天・竜らの極彩色で彩られている。

経堂
江戸時代初期に建設された。現在では京都の重要文化財に指定されている。
本堂らと共に再建されたのは寛永10年(1633)。名前のとおり仏教の経がなかに収められている。
重々しい雰囲気のある仏堂である。正面五間、側面四間の一重、本瓦葺き、入母屋造り。
正面と両側面に蔀戸(しとみど)を吊る。
経堂の中にはには釈迦三尊像を祀り、作られて当初は講堂として使用されていたようだ。
天井には岡村信基筆の墨絵の円竜が描かれている。

田村堂(開山堂)
江戸時代初期に建設された。現在では京都の重要文化財に指定。
再建されたのは寛永10年(1633)。
建築的特徴は三間四方、入母屋造り、桧皮葺きという風になっている。
彩色には繧繝(うんげん)という手法が施され、丹塗りの柱と屋根をつなぐ
謡曲「田村」に謡われている「田村堂」で、清水寺創建の本願主・坂上田村麻呂夫妻の像を堂内中央、須弥壇上の厨子(重要文化財)内に祀り、併せて清水寺元祖の行叡居士と開山の延鎮上人を奉祀している。

轟門(とどろきもん)
建設されたのは江戸時代初期ごろ、現在では京都の重要文化財に指定。
月舟禅師(1618~96)の名筆「普門閣」が迎えてくれるのは正面軒下中央。
清水寺の本堂への中門で再建されたのは寛永8~10年(1631~33)で三間一戸の八脚門。
特徴となる建築様式としては切妻造り、本瓦葺きで、妻や天井の構造は東大寺転害門を模している。
左右両脇間に持国天像と広目天像を祀り、背面には阿・吽形(あうんぎょう)の狛犬(こまいぬ)を安置する。
なお門前には梟(ふくろう)の手水鉢(ちょうずばち)が奉納されている。

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